(忠政)高校時代は空手道部に所属していました。最初は弱くてレギュラーにもなれなかったのですが、最後の大会では兵庫県16強にまで入ることができました。受験勉強との両立は大変でしたが、困難に最後まで向き合えば結果は出るということを学びました。
この会社のことは、大学時代に就活イベントで知りました。皆さんが前向きに仕事されていることが伝わってきて「いい会社だな」と感じました。もともと就活では別の業界を中心に受けていたんですが、それ以降、モノ作りというのは自分のしたことが形になって世に出ていくいい仕事だなと思うようになりました。
(由利)幼稚園の頃からずっとサッカーをやっていて、高校でも大学でもサッカー部に入っていました。小さいころから「会社を継ぐの?」とよく言われていたので意識はしていましたが、進路のことを真剣に考え始めたのは就活を始めたころでした。もちろん葛藤はあって他の道に進むことも考えたのですが、やはりカバン作りの道に進もうと決めました。その上で、一度は別の業界を経験することも考えたのですが、カバン作りの仕事を考えたときに、ほかの業界の経験があまり役に立つとは思えなかったので、大学卒業後すぐに入社してカバン作りを一から勉強することにしました。
(秋元)生まれは三田市ですが、父が転勤族で小学校から高校まで関東で過ごし、大学で三田に戻ってきました。学生時代はバンドを組んでいて、ドラムを叩いてました。就職活動にあたって、最初はメーカーの営業職などを受けていましたが、正直自分でもあまりピンと来ていませんでした。そんな時にこの会社の企業紹介動画を見て、いいなと思いました。もともと手芸とか作るのが好きだったんですよ。また、面接で他にどんな会社を受けているかとか正直に話したんですが、それを受け入れてくれたところも、この会社が自分に合うんじゃないかと思ったところです。もともとあまり都会が好きではないので、豊岡に来ることにそれほど不安はありませんでした。
(石田)豊岡生まれで、高校時代は環境建設工学科でした。卒業後は阪神間に出て土木の現場で働いていましたが、ちょっと自分には合わないと感じて、4年目で退職しました。待遇面での不満もあったんですが、施工管理の仕事だったので「自分で物を作りたい」という思いがありました。豊岡に戻ってきて、最初は同じ業界で仕事を探していたんですが、「地場産業の現場で、自分の手で物を作る」というのもいいなと思い、この会社に入りました。
(忠政)カバン作りの研修も経験して、今は営業職です。営業といっても単に製品を売るだけではなく、得意先に行って新製品のご提案をしたり、逆にリクエストをいただいたりして、それを社内に持ち帰って新商品の開発につなげる仕事です。
新人の頃と比べると担当先も増え、いろいろなことが自分でできるようになりましたが、逆にこの仕事の奥深さを感じています。商談の前に作った提案書を上司や先輩に見せると、自分にはなかった視点からの意見をもらうことが多く、自分の知識や経験がまだまだ足りないということを実感しています。
(由利)研修が終わって、コンピュータミシンの部署に配属されました。主に工程管理を担当していて、作業する職人さんのところに型や材料を準備したり、内職さんに発注する段取りをしたりしています。自分で縫製の作業に入ることもあります。
ずっと傍で見てきたカバン作りの仕事ですが、いざ自分でやってみると難しいし、奥が深いなと感じています。
(秋本)研修を経て、企画課に配属されました。忠政さんたち営業の方が得意先さんと相談してこられたカバンの案を形にする仕事で、図面を作ってサンプルを仕上げます。もちろん原価計算もします。ただ、私はまだ見習いなので、サンプルを見て図面に書いたり、逆に図面から実物を作る研修をしています。できてみると元のイメージと全然違っていることが多く、難しさを実感しています。
(石田)2021年の11月に入社して、当初は革の加工を担当していました。1年経って異動し、今はコンピュータミシンでファスナーなどのパーツを縫う仕事をしています。非常にスピードが大切な職場で、どれだけ数をこなせるかというのが求められています。
(忠政)営業をしていて嬉しいのは発注をいただけた時ですね。既製品を売っているわけではなくて、提案・開発から時間をかけて一つ一つの商品を作っているので、発注が決まったら部署のみんなで喜びます。もっといっぱい注文を取って、そういういい場面をもっと作りたいですが、自分はまだまだなので早く一人前になりたいです。
(由利)いま管理の仕事をしていて思うのは、生産工程をもっと工夫できないかということです。今は誰かが休むと仕事がストップしてしまうような時もあるので、品質を保ちながら、もっと効率的にして生産性を上げることができないか、ということを考えています。
(秋本)アイデアをパパっと形にできる先輩に憧れます。自分のイメージした通りのカバンを作れるようになりたいですね。まだまだ道のりは長いですが…豊岡カバンのブランド力をもっともっと強くしたいという思いを持っていますし、いつかはそれに貢献できるようになりたいですね。
(石田)自分の作ったパーツが組み込まれたカバンが売られているのを見たら、やっぱりやり甲斐を感じます。まずは、まだ異動して日が経っていないので、とにかく今の仕事に慣れることですね。まだまだ周りの人のスピードについていけていないので、求められる品質を維持しながら、スピードを上げられるようになっていかないといけないと思っています。
タダ(忠政さん)のイメージを一言で表すと「良い人」。それは、周りから信頼される人になる素質を備えている事だと思います。前進あるのみ!ずっと一緒に頑張っていこうな!
由利さんは入社から短期間で非常に成長したと思います。本人の謙虚で前向きな姿勢で、今の成長があるのだと思います。これからもその姿勢を大切にして頑張ってください。
秋本さんは研修中ですが、試行錯誤の日々が続いていますね。持ち前の明るさと正直さ(笑)でこれから共に実務ができることを楽しみにしています!
石田さんのコツコツと仕事に取り組む姿を、みんなが見ています。今までにたくさんの技術を習得できました。これからもその姿勢でがんばってください。
今でこそ「豊岡といえばカバンの街」と知られていますが、かつてはOEMでの生産がほとんどで、「豊岡鞄」がブランド化されたのは21世紀に入ってからのことです。そのリーディングカンパニーといえる企業だけに、4人それぞれの立場からカバン作りへの熱い思いを語ってくれました。
豊岡市は、日本最大の鞄の産地です。各地で地場産業が衰退しつつある中、豊岡の鞄産業における強みをグローバルな視点に立って見つめ直すことにより、”技術の蓄積”、”知識・情報の集積”、”流通構造の構築”、この中での優位性を改めて認識することができました。このことが、豊岡の鞄産業・自社の飛躍のきっかけになり、今後さらなる発展につながっていくと確信しています。
世の中の動きや生活スタイルが目まぐるしく変化する昨今、その状況を日本人ならではの感性、そして、豊岡ならではのノウハウで見極め、課題に気づき、解決につなげるべく鞄を開発・製造することが重要になります。「鞄創造により、人生を豊かにする」というミッションと「進化する鞄創造ブランドを目指す」というビジョンのもと、自発性・探究心・仲間を大切にする会社です。「由利に入社したら何ができるのか?」と聞かれれば「本当に思いがあれば、それを実現するチャンスはある。」と答えます。皆さんにお会いできることを楽しみにお待ちしています。