(田中)出身は新温泉町の諸寄地区で、高校は鳥取県の岩美高校に行きました。中学校から野球部で、高校でも引き続き野球をやっていました。
卒業する時には、地元で就職すると決めていました。地元に貢献したいという思いがあったんです。この会社のことは、レコード針の製造で有名なので知っていましたが、調べてみると針以外にもいろいろ作っていて楽しそうだなと思いました。
(濱田)私は新温泉町の福富地区出身で、高校時代は卓球部に入っていました。といっても緩い感じの部活で、みんなで楽しくやっていました。卒業後は、都会も苦手だし勉強も得意ではなかったので、地元で就職すると決めていました。絵を描くのが好きで手先も器用な方なので、レコード針の会社ならそれを生かせるかなと思ってこちらへの就職を決めました。
(田中)「ダイヤモンドバー」を作っています。金属製の棒の先端に細かいダイヤモンドの粒子を複合メッキで着けていくのですが、ダイヤモンドの粒子は小さいものだと10分の1ミリ以下なので、顕微鏡で覗きながらの集中力を要する作業になります。私は細かい作業はそれほど得意な方ではなかったので最初はうまくできませんでしたが、だいぶ慣れてきました。失敗したことはきちんとメモして同じ失敗を繰り返さないように心がけています。
(濱田)私はCDやブルーレイディスクのレンズクリーナーを作っています。ディスクに、ブラシとなる糸を通す穴を開けたり、完成した製品を梱包したりしています。これも実は細かい技術が必要な製品なのですが、精密な穴開けの作業は機械でするので、残念ながら私の手先の器用さは今のところあまり生かせていません(笑)
(田中)今のところ「楽しい」という気持ちが大きいです。先輩たちにも優しく教えていただいています。正直、最初のうちはちょっと先輩たちが怖かったんですけど…それは、あえて厳しく教えて下さっていたんだと思います。今は楽しい雰囲気の中で仕事できてますし、今の環境は自分に合っていると思っています。
(濱田)正直言って私は、入ったころの方が「楽しさ」を感じていました。それは、最初のうちはまだ学生気分が抜けていないというか、自分の気持ちの中で「社会見学」の延長みたいなところがあったんだと思います。今は社会人としての自覚ができてきたというか、「仕事をしてるんだ」と日々感じています。もともと人と話すのが苦手だったんですけど、会社に入ると同じ部署の人たちとちゃんとコミュニケーションをとらないと仕事ができないので、それができるようになったという点でも成長したと感じます。
二人とも真面目な性格で、仕事に慣れるまでは大変だったと思いますが、やっと慣れてきて戦力として活躍してくれています。今後ますますの活躍を期待しています。
浜坂から世界に羽ばたくオンリーワン企業が誇るミクロの技術、その一端として田中さんの顕微鏡を使った細かいお仕事がどんなものなのか、ぜひ見たかったのですが、工場内は撮影はおろか「部外者立入禁止」で見ることができませんでした。残念!
約2200種類のレコード針を一貫生産し、世界130か国に輸出されてアナログの音を守り続けています。また、ダイヤモンドと金属の融着技術を生かして、各種のダイヤモンド工具や歯科用ダイヤモンドバーも製造・出荷しています。
浜坂の地で創業以来150年近くものづくりに徹してきました。生産するレコード針の90%は欧米向けです。やる気・根気・元気で新温泉町から世界に挑戦しましょう!