(上坂)出身は豊岡市です。子どもの頃姉がよくケーキを作っていたのですがちょっと変わったケーキばかりで、「私は普通のケーキを作る」と小5の時にパティシエになろうと思いました。高校時代はサッカー部のマネージャーをしていましたが、のんびりしたクラブで私たちも一緒にサッカーしていました(笑)。部活動以外でも、海外研修でイギリスに2週間行ったり、その流れで豊岡市の国際フォーラムに参加させてもらったりと、いろいろと楽しい高校生活でした。卒業後は迷わず姫路にあるお菓子の専門学校に進みました。
(圓山)養父市の八鹿町の出身です。子どもの頃にはピアノを習っていて、初めてのコンクールの時に親戚のお姉さんからショートケーキの差し入れをもらって、それを食べて臨んだら、金賞をいただくことができました。
高校では音楽部に入っていました。パートはソプラノです。私たちの頃はけっこう実績を残していて、全国総文(全国高等学校総合文化祭)にも出場したんです。
大学進学にあたってはあまり進路が決まっていなかったのですが、高校の先生に「圓山は先生に向いてる」と言われたことから教育学科に進み、小学校の先生や中学校の音楽の先生をめざしていました。
(近本)出身は豊岡市の出石町で、中学・高校とバレー部に入っていました。高校ではキャプテンを務めていました。高校時代の3年間は出石そばのお店でアルバイトをしていて、お客さんと接する仕事って楽しいなというのは感じていました。
(上坂)就職は、もちろんケーキ屋さんで考えたのですが、人が多いところは苦手なので大阪や神戸に行く気はなくて、専門学校のある姫路か地元の但馬かで迷っていました。そんな時に、豊岡市内でケーキ屋さんをやっていた私の友達のお祖父さんと話をしたら「ケーキ屋ならカタシマがええで」と勧められたんです。カタシマのケーキのことはよく知っていましたが、当時は「豊岡のケーキ屋さん」だと思っていて、本店が養父だとは知りませんでした(笑)。
(圓山)教職志望でしたが、実際に教育実習を体験して「自分は本当に先生に向いているんだろうか」と不安になり、先生の道はあきらめてしまいました。それで公務員に方針変更したのですが準備不足でうまくいかず、そこから一般企業の就職活動を始めたけど完全に出遅れ、コロナ禍の影響もあって求人も少ないし、とりあえず地元に帰ろうと思いました。
そんな時に父親がカタシマの事務職の求人を見つけてきてくれたんです。子どもの頃から家族でカタシマのケーキを食べた楽しい記憶や、ピアノコンクールの前に自信を与えてくれたショートケーキの思い出もあり、ケーキに携わる仕事ならがんばれそうな気がして、こちらに就職しました。
(近本)高校卒業後は地元で就職しようと思っていました。都会に出てみたいという思いも少しはありましたが、たまに遊びに行くくらいがちょうどいいかと…実際、都会に出た友達からも「早く但馬に帰りたい」という声をよく聞きます。
高校時代のバイトを通じて、接客業の楽しさを学んでいたので、その方向に進もうと思いました。自分の明るさとか、声の大きさを活かせると思ったんです。カタシマのケーキは何度も買いに来たことがありましたし、但馬の素材にこだわっているというところも魅力だったので、こちらへの就職を決めました。
(上坂)今は本店でケーキを作っています。材料の発注業務もしていますし、併設している喫茶で出すパフェなどのデザートも作っています。
実際に入社して感じたことは「忙しい」という一言ですね。特にクリスマス前の季節なんかはもう…ただ、専門学校の先生からはもっとすごい話をいろいろ聞かされていたし、実際都会のケーキ屋に就職した友達からはそんな話も聞くので、ここはまだ恵まれているほうなのかもしれません。
カタシマでは毎年、若手パティシエのケーキコンペがあり、私も2年目の夏に初めて参加しました。初めて「自分が考えたケーキ」を作るので、1か月以上前からいろいろ考えて、地元の中筋地区で作られている「こうのとり生姜」をテーマにしようと決めました。イメージは「チャイ(生姜の入ったインド風ミルクティ)をケーキにしてみた」という感じです。手こずったのは原価計算と、上のデコレーションですね。「生姜」というテーマがちょっと地味なので、見た目で引き付けようとコウノトリをあしらってみたのですが、あまりにも箱に入れづらくてボツになりました。
実際に店頭に並んでいるときは「自分のケーキだけが売れ残っていたらどうしよう」と心配で、ショーケースを見ないようにしていました。でも最終的には完売したので、ホッとしました。
(圓山)総務の仕事全般です。売り上げなどのデータ入力に加えて、チラシのデザインや売り場に掲示するポスターやPOPなども作っています。また、繁忙期には店舗や工場の手伝いに入ることもあります。
総務は部長を含めて3人しかいないので、イベントごとがある時期は忙しいです。といっても、クリスマスの時期はもちろん、イチゴフェアとかこどもの日とか創業祭とか一年中何かしらのイベントがあるし、唯一イベントがない夏の時期はカフェのほうが忙しいので、結局一年中忙しいですね。
現場で働く皆さんが少しでも働きやすいように、仕事を効率化できないかを考えるのも総務の仕事です。その一つとして、工房で作ったケーキを各店舗に送る際の宛名札を色分けしてみました。クリスマス前などはみんな極限に近い状態でケーキを作っているので、現場の皆さんに「疲れてても間違えなくて助かった」と言ってもらうことができました。私なりにケーキ作りをお手伝いすることができて、嬉しかったです。
(近本)豊岡店で販売の仕事をしています。お客様から「おいしかったよ」「ありがとう」と言っていただけると、自分が作っているわけじゃないけど嬉しくなりますよね。いろいろなお客様がいらっしゃるので、やり取りには気を遣います。おっしゃることが聞き取れなくて何度も聞き返してご機嫌を損ねたこともあります。一方で、ギフトの詰合せに入れるお菓子の組合せをお客様と一緒に考えて、できた後に「相談してよかったわ」と言っていただいて嬉しかった思い出もあります。
実家も近いので知り合いがよく来てくれるんですよ。友達とか、そのお母さんとか…そんな人たちに「また来るわ」と言ってもらえるとやりがいを感じます。
この仕事はお客様の表情が直接見られるのがいいですね。お客様から、笑顔とか声とかをほめていただくこともあるんですが、今後ももっと成長していきたいです。先輩がバレンタインやクリスマスなどのイベントごとにおすすめのコーナーを作られているのを見て、自分もそういうことができるようにならないといけないなと思っています。
上坂さんは自分から率先して話をするタイプではないですが、実際に話してみるとしっかりとした考えを持っています。若者ならではの発想を持っているので、いろいろなことにチャレンジしてくれることを期待しています。
圓山さんはいつも元気で楽しく仕事をしていて、周囲まで明るくしてくれています。探求心がとても強いので、我々が気付かないところにまで目を配ってくれていて、教えられることも多く助かっています。将来に期待というより、今現在すでに欠かせない戦力になっています。
近本さんは素敵な笑顔で、お客様に寄り添った接客をしてくれています。話術も巧みで、商品の魅力を伝えるのが上手です。また、声がよく通るのでお客様だけでなくスタッフも助かっています。接客の仕事は、まさに彼女の天職なんじゃないかと思っています。
世の中の人のほとんどが大好きなケーキ。ケーキ屋さんという仕事は人々に夢や幸せを与える仕事なんだということを、3人の言葉の端々からにじみ出る「カタシマのケーキへの愛情と誇り」に触れて、あらためて感じました。
カタシマは、自然に恵まれた食材の宝庫である但馬・丹波地方に4つのお店がある、地域素材にこだわったパティスリー&カフェです。また、姉妹店にはフランス料理のレストラン ラ・リビエールがあります。1970年に創業し、半世紀に及ぶ歴史をカタシマはここ但馬の地と共に歩み続けています。この地域のパティスリー・レストランにしかできないことで、世界へアピールしていきたい。そんな壮大な”夢”を従業員一人一人の”目標”に変えていく企業です。
物も情報も溢れる現代において、本当に価値のある美味しいものを求め世界中のシェフ達が今、こぞって地方を注目しはじめています。但馬・丹波の地に眠る世界に誇れる素材を、お菓子を通じて都市部へ、さらに世界へ発信していくこと、それによって自然豊かなこの地域が世界に誇れる場所になること、これこそがカタシマの使命、究極の“地産都消”と考えています。
カタシマは、海外での展示会、著名なコンテスト、また海外有名レストランとのコラボイベントなどに多数の商品を出展、参加して高い評価を得ています。「天滝ゆずのマーマレード」が世界マーマレードアワードで3年連続金賞を受賞するなど、海外にも視野を広げた活動をカタシマでは積極的に行っています。
私たちは皆さんの柔軟な発想力と、若さ溢れる行動力を求めています。入社後、より実力を発揮し、能力を向上させていけるように、技術講習会や視察研修旅行の実施、若手パティシエのコンペ開催などさまざまなバックアップを行います。いつか貴方がつくるお菓子が世界の評価を集める日が来るかもしれません。